昨年12月のある日、いつも通り24時近くに塾の自習室から帰宅した息子が
「ママ、これ読んでみて。」
国語が壊滅的に苦手な息子は、○進のセンター試験対策現代文(90%突破)という、あの有名講師の映像授業を取っていました。
12月半ばから一気に消化している最中の息子が見せてきたのは、講座で使われているテキストの中の課題文でした。
それは、木内昇著短編集『茗荷谷の猫』の中の
『てのひら』という作品の抜粋文。
結婚して東京で夫と暮らす主人公が、上京した母と共に東京を案内しながら過ごす数日間のお話。
母の老いと、それを前にした自身の反応に狼狽える主人公の姿が緻密な描写で描かれていて、さすが課題文に選ばれるのも納得の作品。
読み終えた私は、自然に涙を流していました。
「僕ね、これ読みながら塾の自習室で泣いちゃった。」
「確かに。ママも泣いちゃうと思う。というかもう泣いてる笑。」
息子は、いつか自分の母もこうなってしまうのだろうか
その時自分もこの主人公のような悲しい態度をとってしまうのだろうかと
また思い出して涙ぐんでいました。
お話の最後で主人公の母は、東京での苦々しい日々など気にとめる様子も無く
「お世話になりました。安心しました。」
「お陰様でほんとに楽しかったよ。いい思い出ができたよ。」
そう何度も何度も礼を言い田舎へ帰っていきます。
息子はこの場面に、主人公の後悔の念が溢れて悲しいと言っていました。
私の感想は少し違いました。
娘がしっかりと、もう母の手は必要ない程にしっかりと成長し、東京という故郷から遠く離れた地できちんと暮らしている、その姿に心から安堵し満たされた気持ちで汽車に乗ったと私は思うのです。
物語もそうですけれど、物事というのは見る側の視点や経験によって様々に変化しますね。
産まれたばかりの娘を連れて初めて外出した時、私は、世界はこんなに親子連れで溢れていたのかと驚いたものでした。
それまでの私には、すでにそこにあったものが全く目に入っていなかったんです。
視野が広がったことを体感しました。
自分もいずれこんな形で親を傷つける時が来るのかと泣いたうちの息子。
己の足で立って生きる姿を見せられたらそれだけで親孝行だと、いつか分かる日が来るのだと思います。